毎日、東北の大地震のニュースが流れています。
新たに救助された人のこと、原発の状況のこと、原発に放水した消防の人の会見など・・・。
どれもいろいろ考えさせられること・・・ばかりです。
私は、会社経営の組織運営の中で、大家族主義が大事だと思っています。
クライアントにもこのことを指導しています。
大家族主義というのは、どのような社員も家族と同じように大事にすると言うことではありません。
自分の役割を最大限果たしながら、その上で自分以外の人を助けるのが家族です。
自分さえ良ければいいのでは家族ではありません。
家族は助け合うものです。
自分の役割を精一杯果たしながら、その上で周りのことを考えて自分にできることを一生懸命取り組む。
これが大家族主義です。
自分の役割を最大限果たそうとしない人は、「家族」ではないのです。
東北の大地震で思うのは、被災地での救助救援、原発での作業は、究極の「自己犠牲」です。
私は、人間として最も尊い行動は、自分犠牲とそこに使命を感じて行動することだと思っています。
ビジネスの場において、命の危険は普通はありません。
命の危険がないビジネスの場でも自己犠牲ができないような人とは、私は一緒に仕事をしたくありません。
誰しも自分が大事です。
私も自分が大事です。
しかし、この壁を打ち破るところに人間としての成長があると思います。
人は、成長するために生まれてきていると思うのです。
私は、父と母を続けて亡くしました。
その数年前には祖母を亡くしました。
祖母の葬式の日には、東京で仕事があったため、私は妻に私の代わりを託し仕事に行きました。
私は、保育園のときからおばあちゃん子で育てられ、いつもおばあちゃんが私のそばにいてくれました。
決して母が何もしてくれなかったのではなく、母は私を育てるために、毎日朝早くから深夜まで働いていたのです。
祖母である「おばあちゃん」が私の世話をしてくれていたのです。
私にとってかけがえのないおばあちゃんを亡くした時でも私は仕事を優先しました。
親戚からすると、あるいは他人からは、「それは違うでしょう」といわれるかもわかりません。
しかし、一番大事なものを「犠牲」にすることで、新たなものが生まれるのです。
このときの私の複雑な気持ちは今まで誰にも話したことがありません。
何を「犠牲」にするかは人それぞれです。
モノの場合もあれば、時間の場合もあります。
私のように身近な人を「犠牲」にする場合もあります。
でも、一番難しいのは、「自分」を犠牲にすることです。
「自分を犠牲にすることができる」
これができる人を、私は自分の「家族」同様に、一生、守り、育てていきたいと思います。